校遊ひろば |
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同窓会からの連絡だけではなく、 会員皆さんの交流を図るコーナーを設けました。
会員の皆さまからのお便りを募集しております。
会報29号では二期生の鈴木進治さんからのお便りを掲載しました。
皆さんの現況、めったに会えない同窓生へ伝えたい事、同窓会へのご意見等お寄せください。
このコーナーへの寄稿を機に皆さんの交流が新しく開ける事を期待します。
原稿は、400字詰め原稿用紙2枚程度(800字位)でお願いします。 |
あて先 〒350-8585 埼玉県川越市鯨井2100
東洋大学 理工学部 応用科学科 同窓会 事務局 相澤まで
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【雑感】 「最近思う事」
第3回卒業生(1967年卒) 鈴木 光雄
仕事をリタイヤして早5年を過ぎ想う事をつれづれに記してみたく筆を執りました。リタイヤ後は毎日、日曜日を活かしてゴルフ三昧、旅行三昧と計画し、実行してきた。しかし、計画の実行が目的ではないはずである。目標値は?
と考えるとむなしさが残る。何処に達すれば満足感を得られるか・・・つまらない悩みを持つて暮らしている。ゴルフはスコアーが伸びず、旅行は知らない土地、名物等、新しい知見を積み重ねてはいるが・・・。
今年古希を迎えた。爺になったもんだと、なんとも不思議な感がする。70歳を過ぎてからの平均余命は16年(男)だそうだ、残す人生はまだ16年ある。もう一度、第二の人生を考えなければと、つくづく思う。まずは体力作りと反省し毎日の散歩、スポーツジムでの筋カトレーニングと老体を再構築している。友達からの便りはここが悪い、痛いのだの話ばかり、更には誰それが亡くなったと・・・。もつと楽しい満足できることはないものかと望んでいる。(自分から探しに行けばよいのだろうが・・・)
話は変わるが政治の世界、自民党の圧勝以来国会討論で馬鹿げた質疑は大分減つた様だ。逆に安部内閣の横柄さが目に付く、私だけだろうか? 安倍政権の右傾化、太平洋戦争を思い出す(私は戦後の貧しさしか知らないけど・・・)。軍国主義に徐々に進んでいる様で非常
に心配している。直近では戦争とはならないだろうが、戦争を知らない世代と変わるにつれ軍国主義が徐々に頭をあげるのではないか? 我が孫、ひ孫の時代でも穏便な日本であつて欲しいと願う。軍隊を、武器を持たないから世界のリーダー格になれない、中国に対等出来ないと、とんでもない考えの人に押され政治家が走り回つているようだ。日本は経済大国として世界に君臨していた、もう一度経済界で世界のリーダーとして地位を確保すれば国民の意識も高くなる。
世界に誇る製造業、自動車、電気、化学、各ジャンルで日本人の持てる知恵を発揮すれば必ず世界のリーダーとなるだろう。
STAP細胞の研究は怪しくなってきたがiPS細胞、液晶、自動車のハイブリッド、無人運転装置、更にカーボン繊維等々、世界に誇れる技術だ。これらの技術を生かす環境づくりは政治の世界で進めないと隣国、韓国、中国に追い抜かれる事になる。馬鹿な政治論争に明け暮れているのではなく明るい未来を見通せる日本にしたい、なってほしいものだ。
またまた話は変わるが我が母校、東洋大学応用化学科の実力は如何に??? うなづける研究成果を世に発信してほしい。
時代の流れとは言え我が同窓会の盛り上がりはなくどん底から這い上がれない。神の助けを借りたいものだ。
今年の新卒者140名の内、同窓会への入会者は1名のみ、このままでは同窓会の解散につながる。どの様に立て直すべきか、お知恵を下さい。
本当に雑談で申し訳ありません、最後まで目を通して頂いた方にお礼申し上げます。
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5 0 周年雑感
応化第2期生 外山―田中研究室 鈴木 進治
思えばもう50年ほども前にこの大学に入学し、現在は定年を迎え、何とか一人前に生活を
している自分がある。振り返ってみると実にさまざまな事が蘇って来る。我々が入学した昭和
37年というと、貿易の自由化時代に突入し、国際化に向かって頑張るぞという高ぶる気持ち
あった時期のように思う。一方でこの年に米ソの対立が深刻となりキューバ危機が訪れた。
さに核戦争危機一髪というところまで来ていた。当時のソ連首相、フルシチョフの苦渋の選
択だったと思うが、キューバから核兵器撤去を発信し収束した。この3・11災害での福島原
発の後始末で未だ先が見えてこない原子力というモンスターの悪行を考えると、やはり核の
刻さ、恐ろしさを強く感じる。この年には原子力研究所の国産第1号機が臨界点を達成して
るので特に印象深い事柄である。
大学生活はごく平凡に進行していったが、研究室に入る専門課程になると自覚も芽生え結
頑張った思いもある。卒論時代は特に思い出が深い。学部、修士課程と関連がある研究テーマで外山先生、田中先生のご指導を頂いた。もう少し真面目に研究に取り組んでいたら学者の道を選んでいたかもしれないが、企業を選択する方向となった。外山先生からは研究の足しにと毎月、当時の金で5千円が援助された。今でも「書物を買う足しにしなさい」と言われた先生の言葉が耳に残り、懺悔の思いで心苦しい。当時の女性秘書の方はご存知ではなかろうか。本代になったのはたった一冊のみであったのはまことに罪深くその後の反省の原点になっている。
研究活動以外の楽しい思い出もたくさんある。山下先生、脇先生が囲碁の有段者であった
関係で、囲碁人口が割合に多かったと記憶している。井原先生にもご指導を頂き、基礎的なことを勉強させてもらった。大学生になってからの囲碁入門では遅きに失し、上達は押して知るべしで、卒業時点では恐らく4、5級程度ではなかったろうか。後になってホテルオークラの
社長であった野田岩次郎氏が経団連の会合で囲碁の話題に入っていかれなかった悔しさから猛勉強して、70歳から始めて何と7段位を取得されたという話を聞き、人間何歳になっても努力次第でどうにかなるものだと痛感したものである。幸い自分も努力の甲斐があって何とか人前で打たせていただける程度にはなることが出来た。釣りの世界でも思い出に残ることが多い。亡くなられた伊藤先生とは当時運営されていた大学奥只見寮まで釣り旅行に出掛けたり、松永先生とはポンコツ車であちこちに行った事も良き思い出である。
大学生活における部活動は互いの絆を強め、社会に出てからも太いパイプとなり大いにプラスになることが多い。工学部には当時ESSと言うクラブがあった。英会話研究会である。顧問は英語教員の堀内エミ先生であった。今で言う帰国子女だったと聞いた事がある。流暢な英語は今でも忘れられない。その頃は時折りの合宿をはじめ語学力向上を目指して一生懸命であった。初代部長は機械学科の荒井氏で、浦和市にあるご実家で8名程が3日間も合宿させて頂いたことがある。食事はお母様が準備してくれ、今でも忘れられない。お陰で関東大学ディベーティングコンテストでは早稲田、慶応、日本女子大はじめ国立大も参加する中、3位の栄冠を手にする経験もした。この頃の英会話力がその後の企業生活でも大いに役立ち、海外調査や契約問題などにも対応できた。他にも、応化の一年先輩で現在も上場一流企業の副社長を務めているある方から、この時の語学研鑽が海外赴任でも大いに役立ったとお聞きしている。絆という点でクラブ活動というものの有難みを強く感じている。この時の部員が年に一度の懇親会を持ち、温泉地などで旧交を温めているが、今年は皆さんの年齢も考え、又大学の50周年でもあり、川越の地で開催する事になった。望郷の念とでも言おうか、50年ぶりの里帰りである。中には車椅子の方もおり、同期の森山氏が車でお連れすることになっている。彼は建設会社の会長をされており、東洋大学卒業生も多く採用して頂いている。当日は夕方から鶴ヶ島駅近くで宴席を持ち、近くのホテルに宿泊、翌日は大学の視察を行う事になっている。おそらく大きな変貌に皆、目を丸くするに違いない。
非常に残念な事だが、大学の学生担当課に調べて頂いたところESSクラブは現在実体がなく消滅したようだ。
卒業時、就職面では脇先生に大変お世話になった。紹介頂いた会社は自動車関連企業で、ある分野の製品が国内シェア80%を誇り、株価も高位安定の超優良企業であったが、化学分野が移転せざるを得ない状況が発生した。これを機会に転職し、食品関連企業に移った。ここでは研究所生活が長かったが、全体を見る立場になり「研究所の運営は楽しく研究できる環境を醸成する事」を念頭に置いた。その後は商品企画、ブランド管理、意匠デザイン部門を統括し、年商100億を越すヒット商品も幾つか上市する事が出来、現在でも好調を維持しているものが幾つかある。手がけた商品をスーパーなどでの買い物の際に見ると感慨深いものがある。研究所時代の平成2年、応化同窓会の秋元初代会長より依頼され、第2代の同窓会長をお引き受けすることになった。秋元氏は現在療養中で一日も早いご快復をお祈りしている。
その後工学部30周年記念行事、東洋大学創立100年記念行事等を経て、現在第5代目の会長には斉藤氏が当たられている。そして今年、工学部創立50周年、来年は大学創立125周年という節目を迎えている。工学部は理工学部となり新しい学科も多くなった。同窓会活動も連合育成会への加入で新しい動きが始まった。応化同窓会では数年前から同窓会加入者が減少し続け、会費納入ゼロと言う年まで発生する始末で、同窓会の存続自体が危ぶまれる状況にもなったが、これからは連合育成会との連携も深め、発展を目指さして行くことになろう。育成会の業務をお手伝いし痛感するのは、卒業生の全般的な価値観の変化である。時代がそうさせているのか、個人主義的な面が強くなっていると感じざるを得ない。卒業式に合わせて加入促進と同窓会終身会費の徴収を行っているが、なんとも関心が低く、緊急に改善策を講じる必要があるように思う。同窓会発足当時は研究室内での人間関係の密度は濃かったと感じている。先生方も非常に協力的で学生と同窓会との橋渡しも快くお引き受け頂いた。この所、育成会関連の行事で時折り大学に出向く機会があり、先生方とお話しする事があるが、押しなべて、人間関係の希薄さを嘆いておられる。ただ、嘆いているだけでは困るので、何らかの策を練って欲しいものである。平成15年に個人情報保護法が施行されて以来、何事につけても情報がどうのこうのといって、出来ない事への言い訳としか取れない事態が蔓延しているように思えてならない。これは社会全般にわたって言える事で、過剰反応がもたらす弊害を看過できない。研究室内部でも同窓会の意義など上手に伝達していただければ幸いである。同窓会幹事については一言述べさせてもらいたい。いつも同じ面々が事務処理を行っている。本当にご苦労様と言いたい。今まで曲がりなりにも同窓会機能が維持されてきたのはひとえに彼らの情熱と努力の結果であろう。人事面では役員になったら一生役員と言う事になりかねない。大学の要職にある大熊教授や岡崎教授には運営面でいまだに大事な部分を担って頂いている。また又重先生には骨身を削って活動して頂き、合わせて感謝の意を表したい。幹事一同は努力し、何とか円滑な同窓会運営が出来るよう目指しているが、マンネリ化も否めない。どんな組織でも新しい風が入らなければ新しい価値観に対応できないことが多いので、同窓会の発展のため、新規幹事の参加加入を強く願うものである。関心のないところに発展はありえない。
この3月には松永教授と井原准教授が定年退職された。我々が直接ご指導頂いた先生はお二人が最後になる。お疲れ様でした。どうか健康に留意され楽しくお過ごし下さい。最後に東日本大震災の被災地の皆様に心よりお見舞いを申し上げ、併せて、福島はじめ原発問題に直面している皆様が一日も早く元の生活環境を取り戻せるようご祈念し、締めくくりと致します。
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